(2017/9/16の「おんころカフェ」より)
1.フレームframe――物事を考えるわくぐみ
私たちが物事を考えるときの枠組みを、英語でフレームといいます。社会の一員として成長するとき、私たちは「常識」を身につけていきます。暗黙のうちに私たちが従う、ルールのようなものですね。私の私らしさ、個性、それも一種のフレームかもしれません。「私はこんな人間だ」とか、「私の好みはこれこれだ」と自分で思い、他の人にもそう公言します。
2.フレームがないとどうなる?
「空気を読めない」といわれる人がいます。仕事でも、社会でも、暗黙の「常識」がなく、それを無視してふるまってしまいます。他の人はやれやれと顔をしかめます。私たちの人生には、やはりフレームが必要なのでしょう。ロボットにはフレーム(暗黙知)がもてない、それが人間との差だともいわれます。
けれど、天才には型破りの、つまり空気が読めない人が多いですよね。だからこそ、わが道を行き、他の人には思いもつかない成果をあげられるのかもしれません。
3.フレームにこり固まるとどうなる?
この社会でながく生きているあいだに、私たちのものの見方は硬直してしまうことがあります。成功体験という言葉も聞きますね。「このやり方でうまくいった」と思うと、それをずっと守り続けたくなります。
自分を見る見方、周りの人々との距離の取り方については、どうでしょう。ストレスの少ない、自分の楽な生き方を築いてきたつもりでも、そのパターンそのものが重荷になっていることがあります。ときには、自分を変える努力が必要なのかもしれません。私の年老いた母は、衣類でも食器でもほとんど捨てないで取っておくタイプ(「もったいない」)ですが、このごろは「断捨離」という言葉を覚えて、少しずつ処分しています。なじんだものを、あえて自分から突き放し、整理しています。
4.フレームを変える/なくすことは可能?
みなさんは、良寛というむかしのお坊さんのことをご存じですね。あるとき、知人の町が大きな地震の被害に遭った。それへの見舞いの手紙が残っていますが、良寛はなんと、次のように「空気を読めない」ことを述べているのです。「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候…死ぬる時節には死ぬがよく候…是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」。
ええ~? 災難にあうときは、災難にあうのがよい。死ぬときは、死ぬのがよい。じたばたせずに、そのような心構えをもってこそ、災難(災害や死)のふところに入ることができ、ほんとうの意味で安心できるのだ…ですって?
これはすごい逆説です。災難にあった人にはかわいそう、気の毒だと「共感」してあげるのが、ふつうの感覚ですが、良寛はそれをひっくり返して、「そのままでいい」と言っている。私たちの安心とか危険とか、生きるおおもとの感覚(フレーム)を変えている、リフレーミングだと思います。
ここまで大胆にフレームを外すかどうかは別にして、自分がいろんなフレームに従って考え、行動していることを、ときおりは思い出してみましょう。少しは、そこから自由になれるかもしれません。
おんころカフェ進行役 中岡 成文
●「おんころのたね」とは?
おんころカフェでは進行役の中岡が、対話を始めるまえに、みなさんの発想の「たね」になりそうなことを、少しご紹介させていただいています(その日の対話のテーマとは、直接の関係はありません)。