おんころのたね・その6「〈ためる〉と〈流す〉─ 私たちが生きるために」

(2018/2/24の「おんころカフェ」より)

1.人間は蓄積する
私たちがこうやって毎月おんころカフェで会えるのも、交通機関で運ばれるおかげですよね。文明とはありがたいものです。先人たちから伝わった技術や事物が、どれほど私たちを支えてくれているか。ただし、人間としていちばん大切なのは、「言葉」ではないでしょうか。耳や目から学びなじんだ先人の言葉を通してこそ、私たちは知識を伝えられ、気持ちも表現できます。俳句で、「目の前のものをただ写生せよ」というみたいですが、よい言葉の貯えなしに、よい「写生」はできず、17文字で美を映すのは無理でしょう。豊かな言葉の裏付けを持つことは、人間の本質なのです。教養? まあそうかもしれません。いい音楽だって、おいしい料理だってそうですよね。

2. 動物は流す
それに対し、動物には「いま」しかありません。目の前の食物をすぐに食べるか、見向きもしないか。少数の例外を除けば、動物の時間はただ流れ過ぎるのです。だから、蓄積は成り立ちにくく、文化や教養ともまあ無縁です。
人間でも、文字のない社会に生きていたら、どうか。むかしの吟遊詩人とかの世界を想像してみましょう。出来事は記録されません。起こりっぱなしです。美しい言葉やすばらしい教えも口から出っぱなし…いや、聴き手に感銘を与え、口から口へ伝わるかもしれないが、基本的にその場限りですよね。無文字の世界で、言葉は流れ去るのです。潔いともいえます。

3.流す文化もある
私の母は、「もったいない」と言いつつ、紙や布などの小物を捨てずにため込んできました。90歳になって「断捨離」を始めても、はかどりません。「まだ使えるのに」。「これは私がお嫁に来たときのものだ」。いちいち手を止めて、誰か譲る相手を探してしまう。
「ためる」と「流す」を使い分けるのはむずかしいですね。自分の宝物に見切りをつける。せっかく形づくってきた自分の人生の記憶や方針に見極めをつける。でも、適切な仕方で「流す」のは、心の健康のためにも必要だと思います。

4.注文をまちがえる料理店
記憶力が損なわれているため、自分の意図に反して「流して」しまう人もいます。認知症の人々が料理を出し、音楽を聞かせるレストランが、3日間だけ開店したそうです。どうしても間違えてしまう。音譜を忘れてしまい、堂々巡りの演奏をする。新聞の見出しだと、「注文をまちがえる料理店」! プロの仕事人にはありえないことです。だけど、それでもいいじゃないかと、水に流す。できないことを許し合う。そのような「ゆるい」3日間でどれだけのことが実現できたか…。
ふとこうも思うのです。私たちが一生懸命に残そうとしているもののうち、100年、1000年後には、いったい何が残るだろうと。「残そう」とする私たちの意志そのものを、少し見直してみる必要がありはしないかと。

おんころカフェ進行役 中岡 成文

●「おんころのたね」とは?
おんころカフェでは進行役の中岡が、対話を始めるまえに、みなさんの発想の「たね」になりそうなことを、少しご紹介させていただいています(その日の対話のテーマとは、直接の関係はありません)。

 

 

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